皿と命のどっちが大事だ!天下の御意見番・大久保彦左衛門に意見した一心太助

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皿と命のどっちが大事だ!天下の御意見番・大久保彦左衛門に意見した一心太助

「いちま~い……にま~い……」

夏が近づいてくると怪談話が流行りますが、そんなお馴染み「皿屋敷(さらやしき)」の有名なセリフ。

話のバリエーションや元ネタは色々ありますが、大抵は10枚セットの高級なお皿を、女中のお菊が割ってしまい、お手討ちに(斬殺)されたり、あるいは咎められるのを恐れて井戸に身を投げたり(自殺)します。

化けて出たお菊。皿を蛇体に融合させる絶妙な表現。葛飾北斎「百物語 さらやしき」江戸時代

そんなお菊が成仏できる筈もなく、夜な夜な化けて出ては皿を数え、何度やっても「一枚足りない」と嘆き悲しみ続けるのでした。

実に悲しい物語ですが、しかし皿に限らず形あるものはいつか壊れるのが定めだし、まして焼き物なんざ「割ってナンボ」とまでは言いませんが、割れちまっても仕方ないくらいに思っておかないと、神経が参ってしまいます。

(そもそも割れて困るようなら、最初っから金属ででも作っとけという話です)

要は「何も皿の一枚くれぇで死ぬor殺す事(こた)ぁねぇじゃねぇか」という話で、今回はそんなエピソードを紹介したいと思います。

一心太助の実在性について

太助が仕えた大久保彦左衛門。Wikipediaより。

今回の主人公である一心太助(いっしん たすけ)については、フィクション(架空の人物)であるというのが定説となっているようですが、「一心太助石塔」と刻まれた彼の墓が主君・大久保彦左衛門忠教(おおくぼ ひこざゑもん ただたか)の墓のすぐそば(最も近く)に建立されています。

太助の墓を建立したのは江戸蔵前の米穀商・松前屋五郎兵衛(まつまえや ごろべゑ)。陸奥国津軽藩(現:青森県西部)家老・松前五郎左衛門(ごろうざゑもん)の次男として生まれますが、家族相続のゴタゴタから武士の身分に嫌気が差し、生家を飛び出しました。

そして裸一貫から事業を興し、江戸で大成功を収めたそうです……が、この五郎兵衛が登場するのは太助と同じ資料(実録本『大久保武蔵鐙』など)に限られ、その実在性については太助と概ね同程度と見られています。

恐らく、昨今で言えば伊達直人(いわゆるタイガーマスク。架空の人物)の名義で貧しい子供にランドセルを贈ったような一種のユーモア感覚で、

「一心太助がフィクションだなんて、野暮なことを言っている連中の鼻をあかしてやろうぜ!」

とか何とか、そういう反骨精神を発揮した結果なのかも知れません。ともあれ「一心太助が実在したら、さぞ楽しかったろうな」という前提で、そろそろ本題に入ろうと思います。

大事な皿を割ってしまい……

さて、頃は江戸のはじめ、第三代将軍・徳川家光(とくがわ いえみつ)の時代。大久保彦左衛門の屋敷にお仲(なか)という女中が奉公しておりました。

このお仲、何でも真面目で一生懸命なのはいいのですが、そそっかしいのが玉に瑕(きず)……という訳で、お約束のように大事なお皿を割ってしまいます。

彦左衛門の大事な皿を割ってしまい、途方に暮れるお仲(イメージ)。

それが例によって8枚1セットの高級なヤツで、その価格と言ったら、盗んだら首が飛ぶとも言われる5両はゆうに超えたでしょう。

「お殿様、どうかお許し下さいませ……!」

泣いて謝るお仲でしたが、彦左衛門は許せません。

「これはさる方よりの頂きもので、家宝とも思っておった大切な皿……おのれ、ただでは済まさぬ!」

今にも刀の柄に手をかけそうな勢いでしたが、そろそろ登城の時刻が迫っていました。

「いかん、急がねばならぬ……よいか、此奴は戻りしだい即刻手討ちと致すゆえ、断じて逃がすな!」

「ははあ」

哀れなお仲は座敷牢に閉じ込められ、彦左衛門が将軍様の御用で出かけていきますと、彦左衛門の草履取りをしていた太助がお使いから帰ってきました。

「何だって!?……よぅし、おいらに任せておきな」

事情を聞いた太助は、どうにかお仲を助けるべく一計を案じ、帰って来た彦左衛門を出迎えます。

お仲のため、一肌脱いだ太助の策は?(イメージ)。

「ん……太助か、その包みは何じゃ?」

太助は抱えていた風呂敷包みをほどくと、お仲が1枚割ってしまった高級お皿セットの残り7枚が出てきました。

「そなた、いったい何を!」

ニヤリと笑った太助は、その内の1枚を勢いよく地面に叩きつけ、木っ端微塵に割ってしまいます。

「……あ……」

彦左衛門が呆気にとられる中、次々と皿を割って最後の一枚。

「これで見納めだ……全部割っちまえば、むしろ清々(せいせい)するだろうぜ!

天高く両手に持った皿を、渾身の力で地面に叩きつけようとしたところ、正気に返った彦左衛門が制止します。

「やめろーっ!」

「……あ」

タイミング悪く、皿は(太助の懐に飛び込んできた)彦左衛門の額に直撃。彦左衛門は卒倒してしまいました。

たかが皿っくれぇで……「天下のご意見番」に意見する太助

「……やぁ。お目覚めですかい、エヘヘ」

介抱された彦左衛門が寝床の中で目を覚ますと、枕元には恐縮した太助はじめ、家中の一同が心配そうに見守っていました。

一瞬で先ほどの経緯を思い出した彦左衛門は激昂します。

「ぬぁにが『お目覚め』じゃ!おのれ太助、家宝とも思っておった大切な皿ばかりか、主人であるこのわしの頭まで叩き割りおって……ぁ痛た……」

「殿、どうかご安静に!」

家来に支えられる彦左衛門に、太助は真顔で諫言します。

「あのな……さっき、お殿サマはあの皿を、家宝つまり家の宝だって言ったな。だがよ。皿なんぞいつかは割れるし、また焼きゃあいいが、人はいっぺん殺したら、もう二度と戻らねぇんだよ」

「そもそも、家ってェは人間あってのモンだ。どんなに高級な皿が何枚つくなってようが、それだけじゃ将軍様へのご奉公はかなうめぇ?やっぱり、家の宝と言やぁ人間に勝るモンはねぇよ」

「あとな……割っちまった張本人が言うのもナンだけど、皿の1枚や8枚でオタオタしねぇでくれよ。大久保彦左衛門ってやぁ、かの東照神君(徳川家康)のご生前、一歩も怯まねぇで異議を申し立てた、泣く子も黙る『天下のご意見番』じゃねぇか」

笑わば笑え。いつも武骨で大真面目、徳川三代にたびたび諫言した「天下のご意見番」大久保彦左衛門(たらいに乗っている人物)。

「……いつも講談で話してくれたろ?長篠の合戦以来、数々の戦場(いくさば)で武功を上げて、命を惜しまず奉公したってよ。そんな歴戦の勇者が、たかが皿っくれぇで女ぁ斬り捨てたら、恥ずかしいたぁ思わねぇかい?」

「……うぅむ……」

「1枚割れたと思うから惜しむ気持ちが湧くと思って、おいらぁ残り7枚も割ったのさ。皿なんて端(はな)っからなかったモンと思って、お仲を許してやってくれよ。なぁ?」

聞いていた家来たちも太助の言い分にすっかり賛同しているようだし、ここで許さぬとも言い難い……結局、彦左衛門はお仲と太助を許してやったのでした。

エピローグ

その後、太助はお仲と結婚し、彼女の実家である魚屋を継ぐことになります。ところで一心太助の「一心」とは、腕にキャッチフレーズ「一心如鏡 一心白道(※)」の刺青を彫っていたことが由来です。

(※)鏡の如き一心で、白道(びゃくどう。極楽浄土への道)を目指してまっとうに生きる、真っ直ぐな心意気を意味する言葉。

ちなみに、一心太助のモデルとして小田原(現:神奈川県小田原市)の魚問屋・鮑屋(あわびや)の主人が挙げられているそうです。

葛飾北斎「小田原町(築地)」。魚河岸の喧騒に、粋で鯔背な太助の姿(イメージ)。

小田原は彦左衛門の兄・大久保忠世(ただよ)父子の所領として大久保家に縁が深く、また江戸の築地は別名「小田原町」とも呼ばれたほど移住者が多かったことも、魚屋の太助と彦左衛門を結びつける物語を生み出したのかも知れません。

粋(いき)で鯔背(いなせ)な棒手振(ぼてふり)姿、喧嘩っ早いが情には篤い……そんな江戸っ子の代表として、一心太助は今も愛され続けています。

※参考文献:
夕陽亭馬齢 編『大久保武蔵鐙四 松前屋五郎兵衞之記』夕陽亭文庫

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