知って楽しい鎌倉の歴史!駅からスグの史跡めぐり~頼朝公と西行法師の出逢い~ (4/6ページ)
これは2代目将軍となった源頼家(よりいえ)の下す判決があまりにフリーダム過ぎて、御家人たちを納得させられるだけの合理性も、理不尽を黙らせるだけのカリスマもなかった事が理由とされており、次第に幕府のシステムが確立していく過渡期を示しています。
頼朝公と御家人たちの熱狂的な時代が、遠く過ぎ去ろうとしている……そんな寂しい老将たちの背中が目に浮かぶようです。
裁許橋=西行橋を渡って「飢渇畠」の処刑場へ
佐助川に架かる裁許橋(別名:西行橋)。何の変哲もないコンクリート橋だが……。
さて、問注所跡を通過すると、すぐに佐助(さすけ)川を渡ります。ぼんやりしていると気づかないくらい日常的な風景ですが、ここに架かっているのが鎌倉十橋(かまくらじっきょう)の一つ・裁許橋(さいきょばし)。
この先にある処刑場(現:六地蔵)へ罪人を引き立てて行ったことからその名がついたと言われていますが、その音から別名「西行(さいぎょう)橋」とも呼ばれ、頼朝公はここで歌人として名高い西行法師(俗名:佐藤義清)に出会ったとも言われています。