レジェンドのルーキー時代「長嶋茂雄と王貞治」永遠ライバル愛憎秘話 (4/5ページ)

日刊大衆

「王はオレの球を空振りしたんだぞ」 プロレス入りした馬場は、プロ野球時代の話になるとこう自慢したという。

 キャンプの当初、王にはピッチングにバッティング、一塁と外野の守備練習と“一人三役”が課せられ大忙しだったが、それには理由がある。「品川主計球団社長の強い意向でした。二軍コーチだった新田恭一が、“甲子園の優勝投手を打者にするのはもったいない”と、進言したんです」(前出のOB)

 新田は、慶応大では水原監督の大先輩に当たるため、水原監督も、むげにはできなかったのだろう。

■打者の才能がズバ抜けていた

 とはいえ、巨人は王をバッターとして獲得していた。実際、阪神との激しい争奪戦の際、巨人は王を、こう言って口説いたという。「川上はおそらく今シーズン限りで引退するだろう。そうなると、水原監督は外野の与那嶺要を一塁にコンバートするはずだ。ただ、與那嶺の年齢でコンバートはきつい。となると、どうなる?  一塁は君のために空いているようなものだ」

 王本人も投手としての限界を感じており、打者としてプロに入ってきていた。それなのに、王は2月11日に水原監督に呼ばれ、「1週間だけ、ピッチング練習に専念しろ」と、命じられる。「1週間だけ」というところがミソで、水原監督にしたら、「品川社長と新田がうるさいから格好だけでも」ということだったようだ。

 はたして、王には1週間後に「打者専任」が言い渡される。投手か野手か――大谷翔平(エンゼルス)は二刀流を自家薬籠中のものとしたが、王の場合は打者としての才能がズバ抜けていた。キャンプイン前の昭和33年10月6日、王が多摩川グラウンドでの練習に参加したときのことだ。初めて王のバッティングを見た武宮敏明二軍監督のコメントが、報知新聞に掲載されている。〈田園を越えて河原まで球が飛んでいった。こんな新人を見たことはない〉 球場なら場外ホームラン。“世界のホームラン王”の片鱗は、高校時代に開花し始めていたのだ。

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