踏みにじられた貞操…戊辰戦争で活躍するも、敵の手に落ちた神保雪子の悲劇【中】 (4/6ページ)
「誰か、誰か夫を……!」
雪子が会津で悲痛な声を上げていた一方、修理の救出を考えていたのは幕臣の勝海舟(かつ かいしゅう)。
長崎において修理と交流していた土佐脱藩の坂本龍馬(さかもと りょうま)や長州藩の伊藤俊輔(いとう しゅんすけ。後の伊藤博文)たちから、その英明さを聞かされていたのでした。
長州の志士たちとも交流が深く、彼らに一目置かれていたことも、会津藩における修理の立場を危うくしていた。
「あれほどの人物に腹を切らせたら日本国の損失……とりあえず、身柄を幕府に差し出させよう」
という事で、幕府から会津藩に対して「鳥羽・伏見の敗戦責任者である神保修理は当方で処断いたす故、身柄を引き渡されたし」と徳川慶喜から通達を出させます。
しかし、会津藩では「主君に敗戦の憂き目を見せた会津の恥であるからして、我らが手にて処断申す!」と聞き容れません。
修理の無実を知っている容保はもちろん弁護に努めますが、もはや怒り骨髄に達していた会津の藩論を覆すことは出来ませんでした。