王貞治と柳田悠岐も! プロ野球「師弟の絆」列伝 (5/5ページ)

日刊大衆

東京ドームで試合があるときは、全体練習の前後にブルペンか空き部屋で、遠征先ではホテルの監督の部屋で、ひたすら素振りを続けた。「2人の関係は、松井がメジャーに渡ってからも続きます。テレビで見た松井の変化に気づくと、ミスターは国際電話で松井を呼び出し、バットを振るように指示。受話器から聴こえるバットが空気を切り裂く音で、ミスターは松井の変調の原因を見抜き、助言を送ったそうです」(前同)

 世界のホームラン王・王貞治の一本足打法を生み出したのは、当時、巨人のコーチだった荒川博だ。「一本足打法は、ステップするときに手の位置が下がるという王の打撃フォームの欠点を直すためのものでした。足を上げた姿勢で微動だにしないような型にするのが大変だったそうです」(スポーツライター)

 一本足打法を身につけさせるために、荒川はとんでもない荒行を王に強いた。「天井から吊るした半紙を日本刀で斬らせたんです。王は荒川とともに作り上げた一本足打法があったから、前人未到の868本ものホームランを生み出すことができたんです」(前同)

■イチローは仰木彬監督のもとで

 そして、世界の安打王・イチローがブレイクするきっかけを作ったのは、オリックス時代の仰木彬監督のだが、打撃開眼の礎を作ったのは新井宏昌コーチだ。「仰木監督から、“個性を生かしてくれ、後は任せる”とイチローの指導を一任された新井コーチですが、ステップと一緒に体全体の軸が動く振り子打法の特性を生かすため、バットを逆手に持って右に少し重心をかけて鋭くボールを打ち返す練習を課しました。おかげで、毎年のようにヒットを量産。ついにはメジャーで殿堂入りを果たす大選手まで成長することになりました」(夕刊紙記者)

 仰木監督の下で覚醒した選手は多いが、金村義明もその一人だ。「報徳学園のエースとして全国制覇を成し遂げ、18歳で近鉄に入団した金村ですが、入団直後から打者転向が決まっていました。サードとして起用されることになりましたが、内野守備は不慣れ。当時、近鉄で守備走塁コーチを務めていた仰木さんの猛ノックの日々が始まりました」(在阪スポーツ紙記者)

 当の金村が、仰木コーチとの思い出を語る。「毎日、マンツーマンで4時間も5時間もノックを受けました。ふくらはぎがパンパンになって、両足がつって前のめりに倒れ込む。そうすると、水をぶっかけられて、またチャレンジするという繰り返しでしたね。仰木さんはスタミナの化け物で、何時間でもノックが続きました」

 ノックを受けるほうも必死だが、打つほうも必死。特訓のかいあってレギュラーをつかんだ金村は、「いてまえ打線」の中心バッターとして活躍するに至った。始まったばかりのペナントも、深い師弟の絆が左右するのは言うまでもない。

「王貞治と柳田悠岐も! プロ野球「師弟の絆」列伝」のページです。デイリーニュースオンラインは、野村克也松井秀喜王貞治長嶋茂雄柳田悠岐エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る