踏みにじられた貞操…戊辰戦争で活躍するも、敵の手に落ちた神保雪子の悲劇【下】 (2/5ページ)
江戸が無血開城された後も、新政府軍は「会津討つべし」と兵を北に進めて来ます。
「神保家の汚名を返上せねばなるまい」
義父・神保内蔵助利孝(じんぼ くらのすけ としたか)は、父・井上丘隅(いのうえ おかずみ)と共に出陣して行き、残された雪子は地元で「罪人の妻」として肩身の狭い暮らしを耐え忍ぶばかりでした。
白河口、磐城、二本松、母成峠……後世「会津戦争(あいづせんそう)」と伝えられる一連の戦闘において、父は負傷して退却、義父も敗走して8月23日、いよいよ新政府軍は会津若松城下へと迫って来ます。
ただ一人で屋敷に残されていた雪子は「せめて最期は家族と……」と思ったのか、井上の実家に帰りますが、「もうお前は神保家の人間だから」と追い返されてしまいました。この後、井上家に残っていた女子供や戦えぬ者は、父を含めて全員自刃。
(愛する夫を奪った会津藩に、何の未練があるだろう。このまま逃げてしまおうか……いえ、夫が最期まで忠義を尽くした会津藩だからこそ、私も最期まで忠義を尽くすべし!)
新政府軍に立ち向かう覚悟を決めた雪子は、親しかった武家の女性たち20数名で構成された「娘子隊(じょうしたい。婦女隊、娘子軍など)」に志願します。