歴代総理の胆力「安倍晋三(第1次)」(1)第1次政権の政策実績はほぼゼロ (2/2ページ)
こうした流れの中で、大方のメディアあるいは自民党内もまた、「自民党が30議席台に落ちれば安倍退陣は不可避」という見方で一致、結果は37議席に低迷した。
安倍はしかし退陣説に目をつむって“居すわり”をきめ、内閣改造と党役員人事の断行で「延命」を窺った。しかし、その直後の臨時国会開会のわずか2日後に突然の退陣表明をしてしまったのだった。
予定されていた小沢代表との党首会談で政局の安定を策すつもりだったが、さる者小沢は会談を土壇場で拒否、このことにより政権運営がいよいよ苦しくなったということだった。加えて、「体調の悪化」も手伝い、ついにたった1年で政権を「放り出し」てしまうことになったのだった。
安倍のわずか1年の第1次政権を振り返ってみれば、政策実績はゼロと言ってよかった。
まず、所属の森(喜朗)派内で、安倍を盛り立てようという空気が薄かった。政界は嫉妬の海、当選わずか5回で苦労も足りずで総理の座ということには、冷ややかな見方が少なくなかった。
また、中川秀直幹事長、中川昭一政調会長の呼吸が合わず、同じく森派の後継総理となる福田康夫とは、性格、政治理念まったく合わずで、派内、党内の求心力、掌握力ともに欠けていた。さらに、安倍が、小泉元総理が自民党公認を拒否した郵政造反組を復党させたことで、ご都合主義として国民の反発もまた、招いたということでもあった。
一方で、「間」もまた悪かった。松岡利勝農水相が自殺、閣僚の舌禍問題などが、さらに追い討ちをかけ、年金問題も輪をかけた。5000万件に及ぶ年金の記録漏れが発覚、政治問題化したということだった。社会保険庁のあまりの杜撰(ずさん)な管理に原因があったが、国民からは長年これを放置していた自民党政権の責任としてバッシングを受けたのである。
そうした中で、安倍は政権浮揚のために来たるべくの参院選に衆院選をぶつけるという「ダブル選挙」での勝利を模索したが、与党を組む公明党の強硬なノーにあってできずで参院選に臨んだが、先に記したような惨敗を招いたということであった。
■安倍晋三の略歴
昭和29(1954)年9月21日、東京都渋谷区生まれ(本籍地は山口県)。成蹊大学法学部卒業後、米南カリフォルニア大学留学。神戸製鋼所入社後、父親の安倍晋太郎外相の秘書官。平成5(1993)年7月、衆議院議員初当選。平成18(2006)年9月、第一次内閣組織。総理就任時52歳
総理大臣歴:第90代 2006年9月26日~2007年9月26日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。