美少年に惚れやすく…男色が災いし自家を滅亡まで追い込んだ戦国大名「蘆名盛隆」の恋バナ (2/4ページ)
なぜ人質だった盛隆が養嗣子となったのかというと、盛氏の子で当時の蘆名氏当主、蘆名盛興が嫡男を持たずに若くして病死してしまったことが要因でした。
蘆名氏には盛興の跡を継げる後継者がいなかったので、人質の盛隆に白羽の矢が立ったということです。
そのことから考えると盛隆は当主としての素質を持っていたと推測できます。
そして20歳を迎えた天正8年(1580)、養父の盛氏がなくなると蘆名氏18代目当主として本格的に実権を掌握しました。
盛隆はかなりのイケメンで知られ、坂東太郎の異名を持つ佐竹義重との戦中に義重が盛隆に一目惚れをしていまい、双方思いをつづった恋文を続けた結果、和睦したという逸話が残っています。
もつれが謀反まで発展した!?そんな盛隆も一目惚れをしやすいたちで、ある時蘆名四天王の松本氏輔の子である松本行輔(まつもと-ゆきすけ)が初陣に出るための許可を貰いに来た際に一目惚れ。
初陣で討ち死にしてしまっては惜しいと感じた盛隆は行輔を戦には出さず、留守を命じました。
武功を挙げて父の名に恥じない活躍をしたいのに、戦に出られないことが行輔にとって日に日に不満となりました。
そして行輔はこの不満を解消するために、栗村盛胤(くりむら-もりたね)と関係を持ってしまいます。