美少年に惚れやすく…男色が災いし自家を滅亡まで追い込んだ戦国大名「蘆名盛隆」の恋バナ (1/4ページ)

Japaaan

美少年に惚れやすく…男色が災いし自家を滅亡まで追い込んだ戦国大名「蘆名盛隆」の恋バナ

日本における男色は仏教の広まりと同時に広まり、戦国時代になると非常に盛んになりました。男色は比較的相手を選び放題なので自由な恋愛ができる反面、三角関係や嫉妬によるもつれもありました。

江戸時代以前の男色は決して「快楽のため」だけではない?恒例の儀式や同志の契りを交わす意味も大きかった

東北の戦国大名、蘆名盛隆(あしな-もりたか)は美少年に惚れやすいこともあってか数々のもつれを引き起こした大名です。

一体どのような愛憎劇が盛隆の周りで繰り広げられていたのでしょうか。

今回は盛隆が引き起こしたもつれを、生い立ちを含みつつ紹介していきます。

イケメンで敵に一目惚れされた盛隆

盛隆は二階堂氏の出身で人質の身でありながら、天正3年(1575)に蘆名盛氏(あしな-もりうじ)の養嗣子(家督を継ぐ養子)として蘆名氏を継ぎます

「美少年に惚れやすく…男色が災いし自家を滅亡まで追い込んだ戦国大名「蘆名盛隆」の恋バナ」のページです。デイリーニュースオンラインは、蘆名盛隆男色戦国時代恋愛カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧