戦国時代、加藤清正を追い詰めた男装の女武者・お京の方の武勇伝【一】 (2/5ページ)
お京の方のプロフィール
お京の方は肥後国(現:熊本県)に生まれましたが、正確な生年月日や出自、両親の名前などについてはよく判っていません(木山弾正室などと伝えられるのみ)。
後に夫・木山弾正正親(きやま だんじょう まさちか。こちらも生年不詳)が加藤清正に一騎討ちで討たれるのが天正十七1589年。清正は永禄五1562年生まれの清正は当時28歳なので、互角以上の勝負を演じた正親の享年は35~40歳前後が限界(※当時の40代は初老の感覚)と考えられます。
正親が天文十九1550年~弘治元1555年ごろの生まれとして、仮にお京の方が5~10歳年下だったとして、彼女は弘治元1555年~永禄八1565年くらいの生まれと見れば、後に登場する息子の年齢も十分に確保可能です。
(※以降、お京の方は永禄三1560年、正親は天文十九1550年生まれとして話を進めていきます)
ちなみに「お京」という名前についても、後世の人が語り伝える便宜上つけたものだそうで、本名は不明となっています。