戦国時代、加藤清正を追い詰めた男装の女武者・お京の方の武勇伝【一】 (5/5ページ)
竜造寺の家督を継いだ隆信の嫡男・竜造寺政家(まさいえ)は、それまで島津氏と対決姿勢を示していた父の方針を一変、従属する意向を明らかにします。
「何と弱腰な!おめおめ島津に屈しては、亡き御屋形様に申し訳が立たぬではないか!」
これをよしとしない正親らは政家を見限り、木山本家の木山左近大夫惟久(さこんのたいふ これひさ。木山城主)ともども、縁戚関係にあった本渡(ほんど。現:熊本県天草市)城主の天草種元(あまくさ たねもと)と連携。島津氏に対して徹底抗戦の意志を示しました。
正親は惟久から赤井城(現:熊本県益城町)の守備を任されますが、天正十三1585年に島津氏の侵攻を受け、善戦するもあえなく陥落。
「おのれ島津……今はこれまで!」
惟久は木山城から脱出(その後、上洛して連歌師として活躍)。正親も敵の手に渡さぬよう、赤井城に火を放ち、本渡城へ落ち延びていくのでした。
【続く】
※参考文献:
国史研究会 編『国史叢書. 將軍記二 續撰清正記』国史研究会、1916年
戦国人名辞典編集委員会『戦国人名辞典』吉川弘文館、2005年
松田唯雄『天草温故』日本談義社、1956年
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