戦国時代、加藤清正を追い詰めた男装の女武者・お京の方の武勇伝【一】 (4/5ページ)
相次ぐ戦さと島津氏の侵攻
さて、そんな新婚生活などお構いなしに水を差すのが乱世の習い……という訳で、正親は相次ぐ戦さに駆り出されます。
天正八1580年は盟友の甲斐宗運(かい そううん)を救援するべく旦過瀬(たんがのせ。現:熊本県熊本市)で城親賢(じょう ちかかた)と名和顕孝(なわ あきたか)らを撃退。大いに武功を立てました。
翌天正九1581年には薩摩国(現:鹿児島県西部)の大大名・島津(しまづ)氏に降伏し、その先鋒とされたかつての盟友・相良義陽(さがら よしひ)を響ヶ原(ひびきがはら。現:熊本県宇城市)で撃退、再び甲斐宗運の窮地を救います。
「あなた、どうかご武運を……」出陣する正親に太刀を渡して鼓舞するお京の方、そして仲良し夫婦に嫉妬する家来たち(イメージ)。
「やれやれ……ずっと騎馬でおるから、鞍の冷める暇がないわい」
ところで木山氏は肥前の戦国大名・竜造寺(りゅうぞうじ)氏に臣従(※厳密には竜造寺氏の被官である阿蘇氏に臣従)していましたが、天正十二1584年3月に沖田畷(おきたなわて。現:長崎県島原市)で主君・竜造寺隆信(たかのぶ)が討死。