夫婦そろって無念の最期…戦国時代、加藤清正を追い詰めた男装の女武者・お京の方【完】 (3/4ページ)
かくして天草の叛乱軍は鎮圧され、首謀者の志岐豊前守鎮経(しき ぶぜんのかみ しげつね)が薩摩(現:鹿児島県西部)の島津(しまづ)氏を頼って逃亡したほか、多くの国衆が降伏。豊臣政権に対する反逆の芽は摘み取られていったのでした。
エピローグ・横手五郎の最期さて、木山弾正もお京の方も、そして嫡男・傳九郎も討死してしまいましたが、物語はあともう少しだけ続きます。
そう……お京の方が出陣前に逃がした次男は永らく潜伏し、やがて横手五郎(よこてのごろう。横手は熊本市内の地名)と称して清正の元へ現れるのです。
清正が築き上げた名城として知られる熊本城の片隅、月見櫓のそばに変わった形の大石がありますが、これは五郎が城下を一望できる花岡山(はなおかやま)から首にかけて運んだと言われることから「首掛石(くびかけいし。重量約1.8トン)」と呼ばれます。
五郎は築城人夫に身をやつし、両親と兄の仇を討とうと清正の隙を窺っていたのですが、それを勘づかれてしまったため、井戸掘り作業中に生き埋めにされてしまいました。
しかし、1.8トンの大石を首にかけて運ぶような怪力の持ち主ですから、上からいくら岩を投げ込んでもすべて受け止め、投げ返されてしまいます。