家督が継げなきゃ自力で家を興す!関ヶ原で活躍した信長の甥・織田長孝の武勇伝【上】 (2/4ページ)
本能寺の変(天正十1582年)で横死した信長の事業を受け継いだ羽柴秀吉(はしば ひでよし。後の豊臣秀吉)に仕え、懸命に奉公した結果、美濃国大野村(現:岐阜県揖斐郡大野町)に500石の領地を獲得しました。
やがて秀吉によって従五位下・河内守の官位を授かり、妻(正室ではない)も娶って多くの子宝に恵まれたそうです。
親の支援が多少はあったであろうとは言え、自分の努力で領地を得て一家を興すのは並大抵ではありません。これだけでも十分に頑張ったと言えますが、長孝の働きは戦場でも示されるのでした。
関ヶ原で、猛将・戸田武蔵守と一騎討ち!慶長五1600年「関ヶ原の合戦」で父と共に徳川家康(とくがわ いえやす)率いる東軍に属した源二郎は、乱戦の中で西軍の猛将・戸田武蔵守半右衛門重政(とだ むさしのかみ はんゑもんしげまさ)と一騎討ちに。