家督が継げなきゃ自力で家を興す!関ヶ原で活躍した信長の甥・織田長孝の武勇伝【下】 (4/5ページ)

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天下人・家康も恐れをなした!?妖刀「村正」と徳川家にまつわる因縁とは

「左様であったか……なれば今後(処世)の障りとなろうゆえ、斯様の槍は打ち砕くべし!」

かくして源二郎と共に修羅場を潜り抜けた村正の名槍は、無残にも屑鉄とされてしまったのでした。

エピローグ

そんなアクシデントはあったものの、武功は武功。いくら仲良しであっても敵は敵、その仲良しを討った者であっても味方は味方……と、私情を超えて評価できるのが、家康のいいところ。

源二郎は関ヶ原の武功によって所領を大きく加増され、一万石どりの大名(美濃野村藩初代藩主)に出世。完全に父からの独立を果たしたのでした。

しかし、半右衛門との死闘で傷でも負ってしまっていたのか、関ヶ原の合戦から6年後の慶長十一1606年7月5日に亡くなってしまいました。享年は26~34歳(※天正元1573~同九1581年生まれと仮定)と推測されます。

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