家督が継げなきゃ自力で家を興す!関ヶ原で活躍した信長の甥・織田長孝の武勇伝【下】 (5/5ページ)

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秀忠と家光。徳川三代に仕えた野村藩(イメージ)。

野村藩は長男の織田孫一郎長則(まごいちろう ながのり)が継承、徳川秀忠(ひでただ。江戸幕府第2代将軍)や徳川家光(いえみつ。第3代将軍)に仕えますが、子供がいないまま寛永八1631年7月4日に亡くなったため、無嗣改易(※)となってしまいました。

(※)むしかいえき。江戸時代、徳川幕府は後継ぎのいない藩は領地を没収。死ぬ直前に養子をとることも認めていませんでした。

しかし、次男・織田織部長政(おだ おりべ ながまさ)は加賀藩に仕官し、末子の長家(ながいえ)も加賀藩士・村井長次(むらい ながつぐ)の養子となってそれぞれ活躍します。

信長以降、歴史の表舞台からフェイドアウトしていくイメージの強い織田家ですが、源二郎をはじめ多くの織田たちがその後も活躍し、興味深いエピソードを残しているので、興味を持って調べてみると面白いですよ。

【完】

※参考文献:
桑田忠親『太閤家臣団』新人物往来社、1971年1月
戦国人名辞典編集委員会 編『戦国人名辞典』吉川弘文館、2005年12月
家臣人名事典編纂委員会 編『三百藩家臣人名事典』新人物往来社、1987年11月

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