キュートな空手家・月井隼南は自分に問いかける「スポーツが大事なのか、命が大事なのか」 (2/7ページ)
だから私は"勝ちたい" 無力な自分はもういやだ
月井隼南(@junnatsukiiv888)がシェアした投稿 - 2020年 2月月24日午後9時31分PST
コロナ禍の中、状況はどんどん変わっていく。結局マニラ行きの飛行機は欠航となったので、月井は「だったら日本に戻るしかない」と埼玉県の実家に身を寄せた。父・新さんは青年海外協力隊としてインド、ニジェール、インドネシア、フィリピンで指導した経験を持つ国際派。とりわけ10年も滞在したフィリピンは妻リリアさんと出会った思い出の地で、月井もマニラ郊外で産声を挙げた。
3歳で日本に戻り、7歳から空手を始めた。指導者である父と二人三脚で稽古を重ね、小学校6年の時に出場した『全日本少年少女空手道選手権大会』女子個人組手で優勝したのを皮切りに全国大会を次々と制した。中学、高校時代はほとんど負けた記憶がない。
■1%でも可能性があるなら諦めない!
しかし、17歳からじん帯断裂や半月版損傷など、ヒザのケガに悩まされるようになる。拓殖大学に進学すると、練習することもままならなくなり、手術やリハビリのため病院にいる時間のほうが長くなった。結局、ケガを克服して現役復帰しても5年間は勝利から見放された。月井は「勝てなかった期間は毎年手術していました」と打ち明ける。
「なぜ、私だけこんなにしんどい思いをしなければいけないのか」
自分と競い合った選手の活躍を尻目に、月井は「勝てないな」と迷い、「退学届を用意したこともあった」と思い返す。
ただ、そこは人一倍負けず嫌いな性格。周囲からは「無謀」と言われながら、大学3年から教職をとり、社会の教員免許を取得する。「1%でも可能性があるなら、やってみようと思ったんですよ」
大学を卒業後、月井は関西にある母校・東大阪大敬愛高の教壇に立つ。地理、歴史、公民を教える一方で、自ら社会情勢や貧困について学んだ。2016年8月、東京オリンピックで空手が正式種目になることが発表されると、月井は決意を固めた。