スポ根テニス漫画「エースをねらえ!」に見る仏教思想と永遠の命 (3/3ページ)

心に残る家族葬



■無我と縁起

この作品では全編を通じて、無心・無我の大切さを説いている。ああ打とう、こう打とうと考えても決まらない。決まる球とは無心で打った時であるとし、ひろみは純粋である故にそうした境地に入れる才能を持っていた。お蝶夫人はこれを「天才は無心」と評し、私が、とか、私なら、とかのエゴに囚われることの愚を説いた。また、宗方の生き方に学んだ藤堂と親友の尾崎は、日本テニス界の裾野を広げるため、若くして現役を引退し後進の指導に回ることを決意した。思いをつなぐとは、あくまで自分にこだわり、エゴに執着する個人主義では成しえないのである。

■危惧される「つながり」

エースをねらえ!は主要人物のほぼ全員が、何らかの形で自己中心的な考えから解放され、思いを受け継ぎ、思いを託す生き方を選んでいる。

墓じまいという言葉が定着しつつあり、墓など不要だと言う声が増えている。だが実のところこうした論調は、墓や葬儀そのものではなく、魂の「つながり」の放棄、個人主義のより一層の徹底を目指すものではないだろうか。それが正しいか否かはまさに人それぞれであるが、筆者は疑問を呈したいところである。
エースをねらえ!は人生の本質に関わる名言、テーマに満ちている。本稿ではその一部の紹介でしかない。一読を薦めたい。

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