源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【四】 (2/6ページ)

Japaaan

ここは裏通り(蛭島通)から行った方がいいのではないでしょうか?」

時政の提案に、頼朝はしばし考えましたが、

「天下に名乗りを上げる初陣なんだから、堂々と行こうぜ!……夜襲でな」

「いや。此度の挙兵は今後の命運を左右する大勝負……天下に名乗りを上げる初戦なのだから、コソコソ裏通りなんか選ばず、表通りから堂々と行こうぜ!」

【原文】但し事の草創として、閑路を用い難し。はたまた蛭島通におひては騎馬の儀叶ふべからず(意:狭くて騎馬では通れまい)。ただ大道(たいどう)たるべし

おぉ……豪胆な頼朝の決心に、一同感嘆の声を洩らします。姉・政子を娶った時はただの女たらしとばかり思っていたのに……義時もその将器に奮い立ちました。

「この御大将なら、きっと勝てる!」

テンションも上がったところで、頼朝は必死で掻き集めた約90の兵から5名だけ宿直(とのい。自身の身辺警護)に残して、約80名を二手に分けます。

片方は山木判官の館へ、もう片方は山木判官の後見人・堤権守信遠(つつみ ごんのかみのぶとお)を襲撃させるためです。

この信遠は優れた勇士として知られ、山木判官に合流されたら厄介なので、個別に撃破しようという作戦。義時は時政らと信遠攻略に加わります。

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