戦国時代、いかなる権力にも屈せず火炎の中に没した気骨の禅僧・快川紹喜の生涯 【その2】 (1/5ページ)
織田信長の命により、百数十名の僧侶などがいた恵林寺に火を放たれた際、冷戦沈着に身動きせず炎の中で没した快川紹喜。
人望に厚く、能力・学識に優れた僧として注目を集め、武田信玄から厚い信頼を寄せられていました。
そして、織田軍の焼き討ちに屈しなかった快川紹喜。ここまでのお話は【その1】もぜひご覧ください。
戦国時代、いかなる権力にも屈せず火炎の中に没した気骨の禅僧・快川紹喜の生涯 【その1】 快川紹喜の名声を聞いた信玄により恵林寺へ
快川紹喜に厚い信任をよせた武田信玄(写真:wikipedia)
快川の出自と武田信玄との出会い快川紹喜は、12歳で仏道に入門。当時から人望に厚く、能力・学識に優れた将来有望な若者として注目を集めていました。
35歳のとき、師である仁岫宗寿(妙心寺第27世)から「快川」の道号(注1)を与えられ一寺の主となったのです。
※注1:僧侶が付ける号。俗世でいう苗字。
