戦国時代、いかなる権力にも屈せず火炎の中に没した気骨の禅僧・快川紹喜の生涯 【その2】 (4/5ページ)
信玄は、快川を再び恵林寺に迎えるにあたり、大幅な寺領を加増、自身の位牌を安置するという最大限の礼を払いました。
快川が信玄のもとに再び赴いたのは、義龍亡き後の逼迫した美濃の情勢も反映していたようです。
父道三を滅ぼし美濃を掌握した義龍は、優秀な戦国大名で存命の間、信長の美濃侵攻はことごとく失敗しました。
しかし、義龍の跡を継いだ龍興は、まだ若く、信長の相次ぐ侵攻にさらされることとなります。
快川は、龍興を救うため武田氏との軍事同盟が必要と、信玄の要望に応え恵林寺再住を快諾。
1565(永禄8)年前後には信玄との同盟関係が成立したのです。
信長に士気の緩みをつかれ龍興は降伏
こうした快川の努力も時流には逆らえませんでした。
