戦国時代、いかなる権力にも屈せず火炎の中に没した気骨の禅僧・快川紹喜の生涯 【その3】 (2/6ページ)
快川は、恵林寺住持として、信玄正室三条夫人をはじめ武田家ゆかりの人々の葬儀で導師を務め、さらに有名な信玄の旗「風林火山」の文字も執筆したとされています。
信玄は快川をただの禅僧としてではなく、外交交渉はもちろん、領国経営についても相談に値する人物として認めていたようです。
しかし、そんな快川と信玄の絆は、1573(元亀4)年の信玄の死によって断ち切られてしまいました。
1572(元亀3)年に取り掛かった西上作戦の最中、信玄の病状が悪化し陣中で没したのでした。
信玄は自分の死を3年間秘することを遺言。その葬儀は遺言通り、1576(天正4)年に、快川を大導師として執行され遺体は恵林寺に埋葬されました。