戦国時代、いかなる権力にも屈せず火炎の中に没した気骨の禅僧・快川紹喜の生涯 【その3】 (4/6ページ)
織田氏への切り札である人質を返還
そうした快川紹喜の外交政策が、1581(天正9)年の織田信長五男御坊丸の身柄返還にみられるのです。御坊丸は、信玄の西上作戦時、岩村城で捕えられ甲府で人質として暮らしていました。
信長による甲州征伐が濃厚になりつつある時期、切り札である人質を返還するのは、得策ではありません。
しかし、快川紹喜は織田との和親のため、御坊丸返還を勝頼に進言したのではないでしょうか。
快川は、妙心寺派のネットワークから、当時の信長の軍事力を見極めていたことでしょう。それ故に、武田家を救うのは、講和以外にないと確信していたのです。
織田氏に屈せず炎に包まれ落命した快川紹喜
しかし、時すでに遅く、それから約4か月後に武田家は滅亡。