戦国時代、いかなる権力にも屈せず火炎の中に没した気骨の禅僧・快川紹喜の生涯 【その3】 (3/6ページ)

Japaaan

恵林寺武田信玄公墓所(写真:wikipedia)

斜陽の武田家を救うため外交戦略を展開

長篠合戦図屏風(写真:wikipedia)

信玄の後を継いだ勝頼は、長篠の戦で織田・徳川連合軍に大敗。家運は衰退の一途をたどります。

斜陽の武田家にあって快川紹喜の立場はどのようなものであったのでしょうか。信玄が快川に期待したことは、勝頼への強力なサポートであったはずです。

快川の卓越した外交手腕や学識の高さから、自分亡き後の武田家の行く末を任せたと考えても不思議ではありません。

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