石原裕次郎、高倉健、松田優作…昭和の大スター「泣ける…男の友情伝説」 (1/5ページ)

日刊大衆

写真はイメージです
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 互いに惚れ込み、時に競い合い、絆を深めた名優たち。そこには彼らにしか分からない“世界”があった!

 8月に他界した渡哲也(享年78)の訃報に、心を痛めた読者も多いことだろう。彼はふだんから豪快で、男気にあふれていた。そんな大スターたちの知られざる友情秘話を紹介しよう。

 まず渡哲也と、日活の先輩・石原裕次郎(享年52)が義兄弟の関係だったことは、あまりに有名だ。「1964年に日活入りした渡さんが、撮影所の食堂で食事をしていたスター・裕次郎さんにあいさつをした際に、“君が渡哲也君ですか。頑張ってくださいね”と、わざわざ立ち上がって握手を求めた。これが渡さんの運命を決めたんです」(ベテラン映画関係者)

 当時の裕次郎は独立して、石原プロモーション(以下:石原プロ)を設立。映画製作を始めていた。「裕次郎さんにかわいがられてはいましたが、渡さんはしばらく日活の所属だった。2人が完全に結びついたのは71年、ある作品の興行的な失敗で石原プロが経営難に瀕したことがきっかけです」(前同)

 尊敬する裕次郎のピンチに、渡は思い切った行動に出た。「現金180万円を封筒に入れ“皆さんのお茶代にしてください”と裕次郎さんに差し出し、石原プロ入りを志願したといいます。裕次郎さんは涙が出るほどうれしかったでしょう」(同)

 渡の移籍で、2大エース体制となった石原プロは、やがて息を吹き返すことになる。

 裕次郎にとって、7歳下の渡は弟分だが、五分の義兄弟にあたる存在が勝新太郎(享年65)だ。日本映画の全盛期、大手映画会社五社は、「五社協定」を結び、各社専属の俳優、監督の引き抜き、貸し出しを禁止していた。

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