カー・セックスの誕生は平安時代?あなたの知らない性や愛に出逢える「いろごと辞典」が面白い! (3/4ページ)

Japaaan

現代では単なる歓楽街・売春街と考えられるが、江戸時代の江戸の街では、これが文化育成の基盤であり、町人社交の場であり、教育向上の機会でもあり…(中略)…つまり、恋愛至上主義を謳歌した爛熟期の江戸文化は、唯美で官能的な特色が重要な要素であるが、これは形式や格式に囚われず、人間本来の姿を愛した町人が生み出し、負担した文化だからであり、その町人文化の中で最も自由に、そして権力や階級の圧制から脱して育ったのが遊里であったからだと考えられる。

狭いところでイタしていたアノ歌人や偉人

続いて、「カー・セックス」という項目を引いてみましょう。書き出しこそ「car + sex(和製英語)、自動車の中で行う性行為。」と当たり障りのない一文ですが、読み進めてゆくと驚愕の事実が…。

カー・セックスの元祖は、千年も前に平安京で牛が引く「牛車」の中で行われていた。在原業平が牛車セックスをしたことは『伊勢物語』に書かれている。

『源氏物語絵巻』匂宮

『源氏物語絵巻』匂宮(画像:Wikipediaより)

まさか、平安のプレイボーイもカー・セックスにいそしんでいたとは…。しかし、カー・セックス愛好家であった(らしい)有名人は業平だけではないのです。

明治に入り、駕籠に代わって馬車が使われるようになると早速、馬車セックスが始まり、これをする男を「ハコ乗り野郎」と言った。明治の元勲伊藤博文もそうだったことが、『雑学明治珍聞録』に載っている。

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