百姓から一国の大名に!民衆や神様に愛された戦国武将・田中吉政の立身出世を追う【上】 (2/4ページ)

Japaaan

とかく前半生については史料が乏しく、謎が多い久兵衛ですが、叔父(母の弟)である国友与左衛門(くにとも よざゑもん)のツテで宮部村の領主・宮部継潤(みやべ けいじゅん)に仕え、元服して田中宗政(むねまさ)と称しました。

当時有数の鉄砲産地である国友を治めていた与左衛門は、後に久兵衛たちの強敵となった(イメージ)。Wikipedia(撮影:Corpse Reviver氏)より。

詳しい年代は不明ですが、当時の元服は数えで15歳(満14歳)前後が多いため、久兵衛の元服≒仕官は永禄五1562年ごろと考えられます。

さて、コネによって7石2人扶持(米約1,050kgの年収&家来1名)の待遇で迎えられた久兵衛は、出自の卑しさを隠すため、かつては武士の家柄であったと称しました。

曰く「自分は鎌倉幕府の御家人・高島高信(たかしま たかのぶ)の末裔で、近江国高島郡田中村(現:滋賀県高島市)を治める田中城々主の家柄であったが、祖先は戦乱によって城を失い、百姓となった」とのことですが、実際のところは不明です。

しかし才覚については確かだったようで、将来を見込まれた久兵衛は宮部継潤の養女を正室に迎えて婿養子となりました。

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