百姓から一国の大名に!民衆や神様に愛された戦国武将・田中吉政の立身出世を追う【上】 (3/4ページ)
彼女は叔父・与左衛門の娘でしたから、久兵衛にとっては従妹に当たり、よりいっそう絆を強めて奉公に励んだことでしょう。
民百姓、そして神様にも愛された久兵衛明朗快活な性格だった久兵衛は周囲から愛されたようで、主君の寵愛を嵩に着るようなこともなく、まめに領内を見回っては百姓たちと一緒に弁当を広げ、彼らの悩み事や相談を熱心に聞いては施策に反映するべく進言したため、人望に篤かったと言います。
また、褒美として袴を賜り、さっそく家紋の「右三つ巴(みぎみつどもえ)」を入れようと紺屋に染めさせたところ、型紙の下絵をそのまま書いて渡しでもしたのか、向きが真逆の「左三つ巴」紋になってしまいました。
現代と違って生地も貴重で「また新しい袴を用意すればいいじゃん」とは行かない時代ですから大問題です。狭量な武士であれば紺屋を斬り捨ててしまったでしょうが、久兵衛は笑って許します。
日牟礼八幡宮に伝わる左三つ巴の御神紋(黄丸部分)。Wikipediaより(撮影:663highland氏)。
「ちょうど八幡さま(日牟禮八幡宮。現:滋賀県近江八幡市)の御神紋が左三つ巴……これはきっと、八幡さまがわしにご加護を下さったに違いない。紺屋よ、大儀であった!」
「は、はぁ……!」
事実、この左三つ巴の紋を染め抜いた旗頭は数々の武勲をもたらし、人々は久兵衛の度量を賞賛することとなったのでした。