百姓から一国の大名に!民衆や神様に愛された戦国武将・田中吉政の立身出世を追う【上】 (1/4ページ)

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百姓から一国の大名に!民衆や神様に愛された戦国武将・田中吉政の立身出世を追う【上】

戦国時代と言えば下剋上の嵐が吹き荒れ、実力しだいで立身出世も夢ではなかったイメージですが、活躍したのは元から武士身分だった者が多く、天下統一を果たした豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)のように、百姓など低い身分から成り上がった者はごく少数派でした。

真勝寺蔵「田中吉政肖像」Wikipediaより。

だからこそ特筆されたのですが、今回は百姓身分から一国の大名にまで立身出世を遂げた田中吉政(たなか よしまさ)の生涯を追ってみたいと思います。

謎多き出自と青春時代

田中吉政は天文十七1548年、近江国浅井郡宮部村(現:滋賀県長浜市)の百姓家に生まれたと言われています。

父親は田中重政(しげまさ)、母親は(たけ)と言われており、百姓にしては立派な父親の名前は、恐らく吉政が家柄に箔をつけようと後から称させたものかも知れません。

恐らくは吉政本人が名乗っていた久兵衛(きゅうべゑ)という名前を代々受け継いできたか、あるいは似たような名前だったものと考えられます。

弟に田中清政(きよまさ。左馬允、後に赤司城主)、田中氏次(うじつぐ。兵庫助、後に江浦城主)がいますが、こちらも出世した後の名前で、幼名については不明です。

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