何で女性にその名前?生涯無敗を誇った剣豪美女・園部秀雄の武勇伝【下】 (2/4ページ)

Japaaan

毎年大会を開いて武道の振興に努める中、明治三十二1899年の第4回武徳祭大演武会において、秀雄は親王殿下より渡辺昇(わたなべ のぼり)との異種対戦を指名されます。

若き日の渡辺昇。人斬りとして新選組からも恐れられ、政治的でも維新を支えた。

渡辺昇とは肥前国大村藩(現:長崎県大村市)出身の元尊攘志士で、討幕派の急先鋒として京都で佐幕派志士を多数血祭りに上げ、かの新選組(しんせんぐみ)からも恐れられていた「人斬り」

また、坂本龍馬(さかもと りょうま)からの依頼で討幕運動の原動力となった薩長同盟の段取りをつけるなど政治的な功績も多く、大阪府知事や元老院議官、貴族院議員などを歴任します。

……とは言うものの、そんな昇(天保九1838年生まれ)も当年62歳。さすがにピークは過ぎている一方で、秀雄は当年30歳という脂の乗り切った年ごろ。老練の渡辺昇か、新進気鋭の園部秀雄か……勝負はあっけないものでした。

「参った!」

秀雄が繰り出す薙刀の攻勢にたまらず、昇は竹刀を投げて試合放棄を宣言したそうです。そうでもしないと降参の意思が伝わらないほど、怒涛の勢いで攻め込まれたのでしょう。

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