何で女性にその名前?生涯無敗を誇った剣豪美女・園部秀雄の武勇伝【下】 (3/4ページ)

Japaaan

新選組をも恐れさせた元「人斬り」に勝った……秀雄の評判はますます高まる一方でしたが、その二年後(明治三十四1901年)、師匠の仇討ちということで昇の秘蔵弟子・堀田捨次郎(ほった すてじろう)が勝負を挑んで来ました。

みんなは「返り討ちにされる(=秀雄の勝利)だろう」と予想していたそうですが、三本勝負で捨次郎は二本をとり、僅差で試合を制したそうです。

堀田捨次郎。文学青年のような風貌に、静かな闘志を秘める。

当時、試合に際しては(選手の気が散る、精神統一の妨げになるなどの理由から)拍手や声援が禁じられていたにも関わらず、会場内は拍手喝采がやまなかったそうで、それだけ秀雄の強さが知れ渡っていたことが判ります。

これが秀雄の生涯における唯一の敗北(諸説あり)とされますが、当の本人は後にインタビューを受けた際、捨次郎との試合について

「あたくしが堀田さんに負けたというのは間違いです」
※読売新聞、昭和三十1955年1月10日付

とコメント。

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