何で女性にその名前?生涯無敗を誇った剣豪美女・園部秀雄の武勇伝【下】 (1/4ページ)
前回のあらすじ
時は明治三1870年、仙台藩士の家に生まれたお転婆少女「たりた」は、17歳にして剣術に目覚め、両親の反対を押し切って佐竹鑑柳斎(さたけ かんりゅうさい)に弟子入り。直心影流(じきしんかげりゅう)薙刀術を学びます。
厳しい修行の末、めきめきと上達した「たりた」は、師より印可状と「秀雄(ひでお。雄=男より秀でている、の意)」の名前を授かり、剣豪美女として活躍。
先夫・吉岡五三郎(よしおか ごさぶろう)と死別し、一人娘と生き別れになった悲しみを振り切るため武者修行の旅に出て全国各地で暴れ回った末、帰郷して直猶心流(ちょくゆうしんりゅう)鎖鎌術の宗家・園部正利(そのべ まさとし)と再婚。
以降は直心影流薙刀術の宗家を継承し、大日本武徳会(だいにっぽんぶとくかい)で活躍することになるのでした。
前回の記事
何で女性にその名前?生涯無敗を誇った剣豪美女・園部秀雄の武勇伝【上】 幕末の「人斬り」渡辺昇に勝利するも……大日本武徳会とは武士の世が終わった明治以降、次第に廃れゆく武道とその精神を継承・振興するべく明治二十八1895年に設立された団体で、初代総裁には皇族の小松宮彰仁(こまつのみや あきひと)親王が就任されました。