親近感と愛着で溢れる地蔵菩薩が慈悲と救いの仏と言われる理由 (2/3ページ)

心に残る家族葬

善も悪も超越することを仏教では「解脱」と呼び、釈迦はこの輪廻からの悟りを開き解脱することを説いた。地蔵はこの六道のすべてに降り立ち、苦しむ衆生を救うとされる。「六地蔵」と呼ばれる六体一組の地蔵の由来はこれである。「傘じぞう」の地蔵の数も伝承によって異なるものの、単体ということはほとんどなく六地蔵が原型にあると思われる。

■賽の河原で子どもたちを救う地蔵菩薩

地蔵は救いと慈悲の菩薩であり、地蔵信仰には子を亡くした親の切なる思いが込められている。日本の各地には「水子地蔵」「子守地蔵」といったものが祀られているが、これは賽の河原と子供たちを描いた「地蔵和讃」が流布した結果ではないだろうか。子供が親に先立って死ぬことは逆縁の不幸として罪とされ、三途の川の辺りにある賽の河原で石を積む罰を与えられる。積み終わる頃には鬼がやってきて崩してしまう。子供たちは泣きながらまた積み始めるのである。そんな子供たちの前に地蔵菩薩が現れ、救いの手で抱きしめてくれるという。

■西院河原地蔵和讃とは

仏典には求められない民間伝承であるが、父こいし 母こいしと泣く子たちの様を描く「西院河原地蔵和讃」は、日本浄土教の先駆者・空也(903〜972)作と伝えられる。

未だ歩まぬみどり子を
錫杖の柄にとりつかせ
忍辱慈悲のおん肌に
抱き抱えて撫でさすり
哀れみ給うぞ有難き
南無延命地蔵菩薩

子に先立たれることは身を切られる思いだろう。そして子を失った孤独以上に、もう抱きしめてあげられず、死出の度にひとりで行かせることの不憫さが身を覆う。恐山には賽の河原があり、積んだ石が無数にある。子供の代わりに親が積んであげた跡である。あとは地蔵菩薩の慈悲にすがる以外にない。そこには科学では割り切れないものが確かに存在する。

■大地の強さとぬくもり

地蔵の救いと慈悲はどこに由来するのだろうか。「地蔵」は大地の母、蔵との意味である。インドで「クシティガルバ」といい、大地の無限のエネルギーを蔵しているとされる。属性としては大地母神(ガイア)を連想させ、その力は膨大である。地蔵は強いのである。力あればこそ、地獄や餓鬼に降りたち、慈悲の光を照らすことができる。

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