立浪和義インタビュー「将来の目標は中日ドラゴンズの監督です!」 (3/5ページ)
そして現に、くじ引きで僕を引いてもらえた。そういった縁があり、僕は中日へ入団しました。
――入団後、高卒ルーキーながら開幕スタメンに選ばれました。
立浪 当時の中日には宇野勝さんがいて、ショートでバリバリのレギュラーを張っていましたからね。まさか、僕が選ばれるとは思ってもいませんでした。そしたら星野さんに1軍に呼んでいただいて、あれよあれよと開幕を迎えた。ですので、もうガムシャラに野球をしていました。
――そのときのプレッシャーは、並大抵のものではないと思われます。
立浪 大きな舞台は甲子園で踏ませてもらっていましたが、やはりプロとなれば話は別です。違った緊張の中でのスタートでしたので、考える暇もないくらい毎日が必死でした。
――闘将と呼ばれる星野氏は厳しかったでしょうか。
立浪 それはもう、厳しかったですよ。僕が入団したとき、星野さんは40歳で、一番、闘志があふれている時期です。試合前に、よその球団の選手としゃべったりしても怒られるんですよ。「ユニフォームは戦闘服だ!」とおっしゃっていて、常に臨戦態勢に入っていないといけませんでした。今のように、球場で選手同士が談笑しているような雰囲気とは別世界ですね。
――当時のプロ野球界には、そのような空気があったんでしょうか。
立浪 いや、中日だけが特別でしたよ。練習ひとつにしても、ヒリヒリとした緊迫感がありましたね。
――そういった環境の違いに戸惑ったのでは?
立浪 そこまで物怖じすることはありませんでしたよ。高校1年生のとき、守備練習のノックには、ファーストに清原(和博)さんがいましたからね。一つのスローイングにも、すごい緊張感を持つような環境で揉まれていました。今思えば、プロに適応するのに、その経験が大きかったのではないかなと思います。
――星野氏との思い出はありますか。
立浪 僕は21歳のとき、プロ3年目のオフに結婚をしました。その際、名古屋の財界の方を仲人として紹介してくれたり、星野さんが乗っていた車を安く譲ってもらったりと、いろいろと目をかけてもらいましたね。