即身仏になることが何を意味し、そこにはどんな目的があったのか (1/3ページ)

心に残る家族葬

即身仏になることが何を意味し、そこにはどんな目的があったのか

日本のミイラとして名高い「即身仏」は全国に20〜30体ほど存在しており、即身仏が安置されている寺院には参拝者が絶えない。自ら命を絶った彼らをなぜ人は敬うのか。

■即身仏とは?即身仏になるまでの過酷な過程

即身仏は主に真言宗系の僧侶が、民衆を救うた肉体を持ったまま仏になることを望み、肉体をミイラ化したものである。即身仏になるには過酷な過程を経る。まず食を断ち肉体をミイラ化していく。食事を木の皮や木の実だけにする「木食行」と呼ばれるもので、米や麦、小豆などの穀物を断つ「五穀断ち」が行われる。五穀といっても5種類ではなく穀物とされるものはすべてが拒否され、最終的には木の皮と実のみを食するようにする。食物には水分補給の意味もあるから、木食行を続けると脂肪どころか水分まで枯渇し、我々が目にするミイラのような枯れた肉体に近づいていく。こうすることで腐敗させず乾燥したミイラ化が実現できる。そしていよいよ土の中に入ることになる。地下に掘られた密閉空間に閉じこもり、事切れるまで読経をしながら鐘を鳴らす。鐘の音が消える時が今生との縁が切れるときである。音が消えると弟子たちが空気穴を塞ぎ、3年程経過したのちに即身仏として鎮座させる。即身仏はその寺院の本尊のような扱いをされて礼拝の対象となるのである。現在に至るまで、多くの参拝者が即身仏の御姿を求めて訪れている。

■日本で代表的な即身仏

即身仏の中でも代表的な存在が湯殿山注連寺に安置されている鉄門海(1768〜1829)だろう。鉄門海は真言宗智山派の僧侶。元々肉体労働に従事していたが、殺人を犯し智山派の注連寺で得度。各地を行脚し布教活動や病気の治癒などに尽力したという。そして即身仏となるべく上記の過程を経て61歳で入定した。人生の終着点が即身仏という荒行であったのは、その苛烈な生き様を表している。

■似て非なる即身仏と即身成仏

即身仏という概念は真言密教の「即身成仏」に深く関係していると思われる。しかし混同されることが多いが即身仏と即身成仏は全くの別のものである。即身成仏は真言密教の最高奥義とされる境地である。「成仏」とは悟りを開くことだと言ってよい。仏教では悟りを開けない限り輪廻転生を繰り返すと説く。

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