実はただの逆ギレ!?幼少期の徳川家康をいじめた怨みで切腹させられた孕石主水の言い分 (2/4ページ)
「おのれ、主水は逃げたか!」
東の武田(たけだ)家へ逃げ込んだ主水を捕らえたのは天正九1581年、高天神城(現:静岡県掛川市)を攻略した時のことでした。
「あの時の恨み、忘れてはおらぬぞ!」
「くっ……」
高天神城で捕らわれた武将たちのほとんどが赦された中、ただひとり主水だけが切腹を命じられたと言います。
鷹狩りのエピソードが元服(13歳。天文二十四1555年)前とすると10~12歳、主水を捕らえたのが39歳ですから、ほぼ30年近く昔のことをずっと根に持っていたことになります。凄まじい執念と言うか、それだけトラウマが大きかったのでしょう。
かくして家康は積年の恨みを晴らし、とりあえずはめでたしめでたし……というストーリーに親しんできたのですが、史料を読むと、どうやらちょっと事情が違うようです。
家康の逆ギレで犠牲になった孕石主水『三河物語(みかわものがたり)』『家忠日記(いえただにっき)』などによれば、この孕石主水は竹千代が預けられた館の隣に住んでおり、竹千代の放った鷹がしばしば「落とし物(例:獲物や排泄物など)」をしていたのでした。