実はただの逆ギレ!?幼少期の徳川家康をいじめた怨みで切腹させられた孕石主水の言い分 (1/4ページ)

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実はただの逆ギレ!?幼少期の徳川家康をいじめた怨みで切腹させられた孕石主水の言い分

徳川家康(とくがわ いえやす。天文十一1543年~元和二1616年)と言えば、幼少期から今川(いまがわ)家の人質にとられるなど苦労を重ね、幾多の困難を乗り越えた末に天下をとったことで知られています。

そんな苦労話の一つとして、鷹狩りのエピソードを覚えている方も多いのではないでしょうか。

静岡駅前の竹千代少年像。

「その方、人質の分際で鷹狩りに興じるなどと……」

放った鷹が孕石主水(はらみいし もんど)という今川家臣の屋敷に迷い込んでしまった時にさんざん詰(なじ)られ、人質の境遇を嘆く竹千代(たけちよ。家康の幼名)少年に声援を送ったのは、きっと筆者だけではない筈です。

他にも今川家の御曹司である今川氏真(うじざね)からもいじめられ、「いつか見ておれ……」と思っていた永禄三1560年、当主の今川義元(よしもと)が桶狭間の戦いで討死。

そのドサクサに紛れて旧領の三河国(現:愛知県東部)を取り戻して独立した家康は、義元を討ち取った織田信長(おだ のぶなが)とタッグを組んで弱体化した今川家を攻略。永禄十二1569年には氏真を降伏せしめました。

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