読めたらスゴイ!越後国の難読地名が苗字となった戦国武将・五十公野信宗のエピソード (5/5ページ)
景勝の武将・藤田能登守信吉(ふじた のとのかみのぶよし)の大軍に完全包囲された信宗は最期まで奮戦しますが、調略によって家老の河瀬次太夫(かわせ じだゆう)らに裏切られ、天正十五1587年10月13日に討死。五十公野城も陥落したのでした。
ここに四代(※五十公野景家―弘家―治長―信宗)続いた五十公野家は滅亡、やがて重家も滅ぼされて越後国の勢力図は、大きく書き換えられていくことになります。
※参考文献:
「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典』角川書店、1989年9月
大場喜代司ら編『図説新発田・村上の歴史』郷土出版社、1998年12月
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