読めたらスゴイ!越後国の難読地名が苗字となった戦国武将・五十公野信宗のエピソード (1/5ページ)
日本には約30万以上の苗字があるそうですが、山田とか鈴木と言った読みやすいものから、どうしてそう読むの?と思ってしまうものまで、様々です。
調べていると色々と発見するもので、今回は越後国(現:新潟県)の戦国武将・五十公野信宗を紹介。名前(信宗)はともかく、五十公野って読めますか……?
「いじみの」と読むようになった五十公野の由来正解は「いじみの」。五は「い」つつ、十は「じ」ゅうで解りますが、公で「み」とはなかなか読みません。もしかして、き「み」でやんごとなき方(公家?)を表わしたのでしょうか。
現代の新潟県新発田市にある地名で、古くは「いきみの」の読み、一説によると五条道兼(ごじょうの みちかね)という貴族が当地の竜昌寺で没したことに由来するとも言われています。
「我が名をこの地に……」名づけるよう遺言した?五条道兼(イメージ)。
「五」条のお「公」家様が亡くなった「野」として語り伝えられる内に五条が五十となり、真ん中の「き」が抜け落ちて「五十公野」で「いじみの」と呼ばれるようになったそうです。
他にも五十(≒とにかく沢山)の峰々が連なった地形から「いじみね」と呼ばれていたのが訛ったとする等の説もあります。
上杉謙信に仕え、政治分野で才能を発揮さて、そんな五十公野の地を治めたのは、越後の土豪・新発田(しばた)氏。