軟弱男はお断り!幕末明治に活躍した「男装の麗人」高場乱の結婚 (2/6ページ)

Japaaan

「わしは高場流眼科術を、この養命に継がせようと思っておる。そなたは更に研鑽を重ね、立身出世を果たすのじゃ」

「はぁ……」

かくして男児として育てられることになった養命は、11歳となった天保十二1841年に元服。名を小刀(こたち)と改名したところ、福岡藩主に同名の親族がいたため、遠慮して再び改名することに。

世の中、流されるばかりじゃつまらない(イメージ)。

そこで「絶対誰とも被らないであろう名前」として「乱」の字を選んだのですが、数え11歳で世の乱れを感じ取り、それを「誰か任せにせず、自分が何とかする、その力になろう」と決意する覚悟は、まさしく武士のものでした。

小さな体躯に漲る武士の魂

女性としては極めて異例となる帯刀も正式に許可されたのですが、小柄で華奢な乱の体躯には甚だ不釣り合いで、中にはその姿をバカにする者もいたようです。

「おいチビ、その刀は飾りかよ?」

往来ですれ違ったガキ大将が、手にしていた薪雑把(まきざっぽう)で、乱の刀を小突きます。

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