軟弱男はお断り!幕末明治に活躍した「男装の麗人」高場乱の結婚 (6/6ページ)

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※ちなみに、甚だ凡庸であることを理由に離縁されたこの花婿は名前も記録されておらず、可哀想な気もしますが、せめてもの情けだったのかも知れません。

エピローグ

「……父上!やはり、それがしに女子は無理にございます!」

間もなく正山が隠居すると、乱は若くして高場流眼科術を継承(兄の義一は秋月藩医として仕官)。より一層学問を究めるべく亀井塾に入門、たちまち頭角を現して「亀井四天王」の一人に列せられました。

この頃、幕末維新の先覚者である小金丸源蔵(こがねまる げんぞう。後の平野国臣)と出逢い、新時代の日本国を背負って立つ人材育成の要を痛感。

黒船の来航により、日本中に激震が走った。

黒船来航(嘉永六1853年)によっていよいよ動乱の世が幕を開けようとしていた安政三1856年、乱は私塾を開いて教育事業に乗り出し、その志を多くの者たちに伝えていくことになりますが、その物語はまたの機会に。

女性として生まれながら、誰よりも男らしく、そして武士らしく生きようとした「男装の麗人」高場乱。博多が生んだ女傑の生き様は、幕末を経て明治の男たちにも受け継がれていったのでした。

※参考文献:
小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL大東亜論 第二部 愛国志士、決起ス』小学館、2015年12月
田中健之『靖国に祀られざる人々 名誉なき殉国の志士たちの肖像』学研プラス、2013年6月
永畑道子『〈新版〉凛 近代日本の女魁・高場乱』藤原書店、2017年6月

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