足利義昭までの15将軍の黒歴史を発掘!10代義稙は流浪の“ゾンビ将軍”だった (2/4ページ)

Asagei Biz

「生涯反抗期将軍」のキャッチの内容を聞くと、

「父親の義満を死ぬほど嫌いだったので、将軍になると、義満の始めた日明貿易を止めた。花の御所からも出て、父が作った金閣以外の建物はほとんど全部壊してしまい、義満が寵愛した弟の義嗣(よしつぐ)を殺しています」

 義満が処分した人を赦免、反発を抑え幕府の安定を図った、在位28年の最長記録ホルダーでもあるので、れきしクンは「アンチ親父のトラブル回避将軍」とする。

 5代義量(よしかず)は、10代の前半ぐらいから酒が大好きで、病弱だったのに酒ばかり飲んでいて19歳で若死にした。河合氏は「酔っ払い病弱若死に将軍」、れきしクンも「アル中将軍」と命名。

 6代義教(よしのり)を「くじ引きパワハラ将軍」と唱えるのは河合氏。

「次の将軍は義持の弟4人の中からくじで決めるとの遺言で、くじに当たったのが義教。これがまたトンデモ人間で、隣でクスッと笑っただけで領地を取り上げたり、諫言した日親という坊さんには、舌を切って熱した鍋を頭にかぶらせたり、侍女を錫杖で殴り殺したり、何人殺したかわからない。最後は、赤松満祐(あかまつみつすけ)という播磨(はりま)の守護大名に暗殺(嘉吉(かきつ)の乱)されて48歳で死にます。いわば異常性格者だった」

 手厳しい断が下される中で、れきしクンはプロ野球のドラフト会議になぞらえた。就任当初は世間の評判を気にした面もあったので、「ドライチ、エゴサ(エゴサーチ)将軍」と命名。

 7代義勝(よしかつ)は、わずか9歳でまさかの将軍になったものの、感染症のため10歳で夭折。馬が好きで、「馬好き感染症の幼少将軍」(河合氏)。側近の日記には聡明で将来が楽しみと書かれており、「神童・スーパーキッズ将軍」になったかもしれないと、れきしクンはフォローする。

 8代義政(よしまさ)は「銀閣」で知られる。夭折した7代義勝の弟で、将軍になったのは13歳。東山に銀閣を建てるなど、庭や建築好きだったが、飢饉に人々が苦しむ中でも花見や宴会をして、応仁の乱のきっかけを作った。よって無能な「空気が読めないKYオタク将軍」(河合氏)、「銀閣命のホビー三昧(ざんまい)将軍」(れきしクン)だった。

 9代義尚(よしひさ)は、9歳で将軍になった。

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