足利義昭までの15将軍の黒歴史を発掘!10代義稙は流浪の“ゾンビ将軍”だった (3/4ページ)

Asagei Biz

日野富子の実子で、父親同様の女好き酒好きながら、室町随一の美男子と言われる「イケメン酒色将軍」(れきしクン)だ。女好きは筋金入りで、引退していた父・義政の側室にも手を出し、義政もまた息子の愛人に手を出し、親子で愛妾を取り合った好色父子だった。酒と女に溺れ25歳で若死にした「色ボケ若死に将軍」(河合氏)である。
 
 10代義稙(よしたね)は、「復活の日を夢見た流れ公方」と河合氏。日野富子と対立して美濃に逃れていた義政の弟・義視(よしみ)の子供だが、管領(かんれい)の細川政元(細川勝元の子)と対立して都から追われた(明応の政変)。以降、人生の大半を流浪のホームレスとなりながら、2度も将軍になっている。れきしクンは「不死鳥、ゾンビ将軍」と、タフこのうえない生き方をたたえるが‥‥。
 
 11代義澄(よしずみ)は、鎌倉公方として派遣されたまま伊豆(静岡県)にとどまった「堀越(ほりごえ)公方」の子供で、流れ公方となった義稙の不在に「日野富子や管領の細川政元が擁立した傀かい儡らい将軍」(河合氏)だった。れきしクンは、修験道で呪術や魔法を使うという細川政元ら「魔法使い管領に翻弄された操り人形将軍」と言いきる。
 
 10代義稙(よしたね)が2度目の将軍に就いて、義澄は近江の六角(ろっかく)氏のところに逃げるが、そこで生まれたのが12代義晴(よしはる)。戦に行く時に、果汁を飲んでいたので河合氏によれば「果汁大好きの近江公方」。だが、れきしクンの見方は少し違って、家臣の下剋上から弟との争いなど、波乱の人生を生き抜く「戦国ど真ん中将軍」と評した。
 
 13代義輝(よしてる)は、細川氏、三好長慶と戦ったり協調しながら京都に戻って将軍になる。武田信玄、島津や毛利など各地の武将に働きかけ、ついには上杉謙信が義輝のために上洛。将軍の権威がにわかに高まるが、最期は松永久秀(まつながひさひで)・父子や三好三人衆の手下らに屋敷を襲撃されて自害。この時に、数十人の敵を斬り倒すなど、塚原卜伝直伝の剣豪ぶりを発揮した。「前代未聞の剣豪将軍」と高い評価を示す河合氏に、義輝と同じ名前のれきしクンも同意。歴史好きになるきっかけとなった将軍の一人で、「るろうに剣心将軍」と呼びたいと、思いも熱い。

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