怨霊と恐れらた菅原道真が「学問の神」へと神格化。人々に祀られるようになったわけ【後編】 (2/5ページ)
人々に祀られるようになったわけ【前編】
乳母に道真からのお告げが
菅原道真の死後、道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は、自分の家に小さな祠を設け、毎日拝んでいました。
そんなある日、同女の前に道真が現れ、「北野の右近の馬場(現在の北野天満宮)の地に祀って欲しい」とお告げをしたのです。
このことがきっかけとなり、天歴元年(947年)に北野天満宮が鎮座されることとなりました。
多治比文子は、北野天満宮の前身神社として「文子天満宮」(京都下京区)に祀られ、こちらも北野天満宮同様、受験の神様として全国の人々からの信仰を集めています。
