怨霊と恐れらた菅原道真が「学問の神」へと神格化。人々に祀られるようになったわけ【後編】 (3/5ページ)

Japaaan

 文子天満宮・本殿(写真:wikipedia)

怨霊から学問の神様となり信仰を集める

「北野天満宮御社之図」(春燈斎) 

北野天満宮は、学問の家柄である菅原一族が管理、朝廷も「勅祭の社」と認め手厚く保護し、北野天満宮は繁栄しました。

そして、人々の間でも、学問の神・詩文の神として菅原道真の才能にあやかりたいと信仰が広がっていったのです。

道真を怨霊として恐れる気持ちよりも、才能に恵まれたゆえに卑劣な奸計に嵌められ、貧しい小屋で無念の死を遂げた、道真に対する敬慕の思いのほうが強かったのでしょう。

江戸に入ると、その思いはさらに広まり、当時の寺子屋には必ず学問の神・天神様の尊像が飾られたり、毎月25日の縁日には近所の天神さまにお参りするようになりました。

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