源義経との恋を引き裂かれた悲劇のヒロイン・静御前。その職業「白拍子」とは? (2/4ページ)
その起源は平安時代中期の第74代・鳥羽天皇(在位:嘉承2・1107年~保安4・1123年)のころ、島の千歳(しまのせんざい)と和歌の前(わかのまえ)という遊女が舞ったことによるそうです。
彼女たちは水干(すいかん。男性装束)に立て烏帽子(えぼし)、白鞘巻の太刀を佩いた男装スタイルで注目を集めます。現代で言う宝塚歌劇団の走りみたいなものでしょうか。
立烏帽子と太刀も備えた当初のスタイル。こっちの方がカッコいい。葛飾北斎「白拍子」。
やがて舞うのに邪魔な烏帽子と太刀を除いた水干のみで舞うようになり、それまで男女関係なく愛好されていた白拍子は、男装した女性が舞う「男舞(おとこまい)」となっていきました。
これは異性装によって舞手が「神がかった状態」を表現しており、座の昂揚感をより高めるためとも考えられます(もちろん男性の女装でもいいのですが、そういう舞は別にあります)。
かくして白拍子が普及するにつれ、より歌舞の巧みな遊女の代名詞となり、時代が下ると猿楽(さるがく。後の能、狂言)、曲舞(くせまい。後の幸若舞)などに発展していったのでした。