平安時代の海賊王!日本を揺るがす大反乱を起こした大海賊・藤原純友の野望 (7/8ページ)
「新皇(将門)はまぐれの流れ矢で命を落としたそうだが、海風は我らの味方……野郎ども、負けンじゃねぇぞ!」
「「「おおぅ……っ!」」」
純友は勇猛果敢な海賊たちの総力を結集、瀬戸内海を股にかけた抵抗戦を繰り広げること1年以上、勝負は年も明けた天慶4年(941年)にまでもつれ込みました。
「ちくしょう、後顧の憂いがなくなったら、もう招安はないか……」
「こうなったら、後は実力で『王位』を死守するしかねぇな!」
決死の覚悟もむなしく、同年5月に博多湾の海戦で惨敗を喫した純友は本拠地の伊予国へ逃げ込みましたが、警固使の橘遠保(たちばなの とおやす)によって討ち取られてしまったのでした。
純友の死については諸説あり、生け捕られて獄中で死んだとも処刑されたとも言われ、また後世で言う「判官びいき」の心情から「実は生き延びて、南海の彼方へ逃げ去った」という話もあります。