浅草寺の本尊は飯能市にある岩井観音堂の観音が起源という説について (1/4ページ)

心に残る家族葬

浅草寺の本尊は飯能市にある岩井観音堂の観音が起源という説について

埼玉県南西部に位置し、東を狭山市・入間市に、南を東京都の青梅市・西多摩郡奥多摩町に、西を秩父市・秩父郡横瀬町に、北を比企郡ときがわ町・入間郡越生町と毛呂山町・日高市に囲まれ、西の秩父山地に向かって飛び跳ねる魚の形に似ているとされる飯能市の中で、青梅市と境を分かつ格好で流れる成木川(なりきがわ)の河岸に、「岩井観音堂」がある。それは東京都道・埼玉県道195号線脇の階段を上り、巨岩の脇の参道を上り切ったところにある小さな観音堂なのだが、ここにかつて祀られていた観音像が流れ流れて、距離にしておよそ100km先の、東京都台東区浅草の浅草寺(せんそうじ)の御本尊となったという言い伝えがある。

■浅草寺に伝わる縁記


そもそも浅草寺に伝わる縁起だが、飛鳥時代の推古天皇36(628)年に、漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟が江戸浦(現・隅田川)で魚を獲っていたところ、1体の観音像が網にかかった。しかしその日は何故か、魚が1匹も獲れなかった。その日は漁を諦め、2人は金色に輝く観音像を大切に持ち帰った。翌日、兄弟は観音像に大漁を祈って舟を出したところ、舟いっぱいの魚を獲ることができた。その噂を聞いて、近在の人々が観音様の霊験を求めるようになった。そうした状況の中、土地の郷司(ごうじ、現在の村長のような立場)、土師中知(はじのなかとも)は出家し、自宅を寺として観音様の礼拝供養に勤めた。そして大化元(645)年、勝海上人(しょうかいしょうにん)が東国巡礼の折、この地に参籠し、観音堂を建立したことが、現在も多くの参詣者が集う、浅草寺のはじまりである。

■一方で、飯能の岩井観音堂に伝わる浅草寺のはじまりとは


一方、岩井観音堂にまつわる伝説がある。

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