浅草寺の本尊は飯能市にある岩井観音堂の観音が起源という説について (2/4ページ)

心に残る家族葬

継体天皇の治世(507〜531年)に、ひとりの旅の僧が成木川近辺を訪れた際、美しい山々に囲まれ、清流に沿った岩畳を見つけた。そして、「この場所こそ、私の探し求めていたところだ」と、堂宇(どうう)を建てて、持っていた1寸8分(約50cm)の観音像を本尊として納め、衆生済度(しゅじょうさいど)に勤めた。しかし継体天皇の治世(531〜535年)に、「日本の開闢(かいびゃく)以来」というほどの大暴風が起こり、河川が氾濫してしまった。その結果、観音様が祀られた御堂もろとも濁流に呑まれてしまった。旅の僧と村人たちは、懸命に観音像を探したが、見つかることはなかった。しかし、およそ100年たってから、成木川〜入間川(いるまがわ)〜荒川〜と水の流れに乗った観音像は、隅田川のほとりに住んでいた漁師の浜成・竹成に…と、浅草寺縁起に繋がる格好になっている。

■岩井観音堂に伝わる浅草寺のはじまりの信ぴょう性

100年前に行方がわからなくなってしまっていた観音像が、再び発見されるようなことが、そもそもあり得ることなのだろうか。現在でも、海を漂っていたものが時を経て、思わぬところで発見されることから、あながち「伝説」とは言い切れないようである。

例えば海洋漂流物研究家の石井忠(1937〜2016)は昭和54(1979)年、福岡市東区志賀島(しかのしま)北端部の勝馬(かつま)海岸で、高さ4.5cmの木製坐仏が漂着しているのを発見した。長年の漂流によって、顔や持物(じもつ)などは全て磨耗し、失われていたものの、明らかに「木切れ」とは違う「仏像」だったという。
現在のように、海洋漂流物にペットボトルの廃棄ゴミが大量に含まれることがなかった時代には尚更、こうしたことは珍しいことではなかったようで、石井は、平成4(1992)年に福井県の小浜浜(おばまはま)で、小槌を持った腕が折れた、木製の大黒像が漂着したこと。そして同年、山口県北部の附野(つくの)海岸では、中国製と思しき、十二面観音菩薩像が見つけられたことを紹介していた。

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