立川志の輔×渡辺正行「座布団におねしょを!?」スペシャル対談 (3/6ページ)
渡辺 洗うわけにもいかないから、とりあえず座布団を二つ折りにして、洗濯機の中に突っ込んで。志の輔さんのタンスからパンツを拝借してはいて、また寝たんです(笑)。
立川 そんなことをしたのに、よく寝れるよね(笑)。で、俺が朝起きて、トイレに行こうとしたら、その座布団を見つけたんだ。「これは何だ?」って思って、すぐにナベちゃんに聞いたんだよね。
渡辺 さすがに隠し切れないので、すべてを話したら、志の輔さんは「ああ、そうなんだ。ガッテン、ガッテン」って納得してくれて。
立川 そんなこと言うわけないだろ(笑)。まだ、番組やってないよ!
渡辺 あのとき、「こいつに高座名をあげるのは、やめよう」とは思わなかったんですか?
立川 呆れ返ったけど、学生時代は俺も飲んで失敗してたし、それはないよ。まあ、今、うちの弟子がやったら、クビにするかもしれないけど(笑)。
■広告代理店に就職して
――大学卒業後、2人とも役者を目指したが挫折。志の輔さんは広告代理店に就職し、リーダーは「渋谷道頓堀劇場」で芸人修業を始めた。
渡辺 志の輔さんがサラリーマンになったと聞いたときは、ホントに驚きましたよ。「あれほどの才能を持った人が……」って。
立川 劇団の養成所に入った1年目は元気に通ってたものの、2年目になると、演劇よりもアルバイト中心の生活になってね。夜はほとんど新宿ゴールデン街で飲んでたんだけど、あるとき、カウンターで横に座ってた顔見知りのお客さんに「うちの会社に来ない?」って誘われたんだよ。
渡辺 役者を諦めたのはその話があったからですか?
立川 うん。ちょうど、そういうタイミングだったんだろうね。それで広告の世界で働くようになったんだけど、何年かしたとき、テレビで『花王名人劇場』(フジテレビ系)を見てたら、ナベちゃんが出てきたんだよ。「アニキ〜!」って呼ばれて(笑)。驚いたなあ。
渡辺 コント赤信号がテレビデビューを果たしたのが80年9月。それから『名人劇場』に何度か呼ばれるようになったんですよ。